イタリア語でお菓子屋さんは「パスティッチェリア」といいます。 イタリア語で生地のことを「Pasta(パスタ)」。そう、スパゲッティ-もパスタ。ラビオリもパスタの一種。 つまり、「粉と水分を混ぜて練って、薄く伸ばした生地」、これがパスタの定義。 お菓子はまさにこの「パスタ」をたくさん使います。ここから「パスティッチェリア」という名前が付いたのでしょう。 (イタリアで”〜屋さん”は”〜テリア”といいます。ピザ屋さん→「ピッツェリア」、ジェラート屋さん→「ジェラッテリア」など)
現在、お菓子・ケーキというとまずフランス!と思われる方が多いでしょう。 日本では、「パスティッチェリア」すなわち、イタリア菓子屋さんはあまり見かけませんし、「パスティッチェリア」という 言葉すら定着していません。 それに比べて「パティスリー」というフランス語はどうでしょう?「パティスリー=ケーキ屋さん」として認識され、 その上現在、空前のフランス菓子ブームを迎えています。

注)ちなみに”ドルチェ”はイタリア語で”甘いもの全般”を指す言葉。本文の中では、イタリア菓子だけでなく甘いもの全てを”ドルチェ”として書いてあります。



多くの人は、「”食”の起源はフランスにあり」、と思っていることでしょう。
しかし、歴史を遡ってみると、フランスよりイタリアの方が先に食文化が花開いたのですが、残念ながらこのこの事ははあまり知られていないようです。 (もちろん、より発展させたのはフランスですが。。。)
古代ローマ帝国時代、イタリアはシチリア・ヴェネツィア・ジェノバ・ナポリなどの貿易の拠点を抱えていたため、 アジア・アラブ・ギリシャなどから伝わってきた豊富な食材に恵まれていました。 また、食材だけでなく、その調理方法も一緒に伝播されてきました。
シチリアにはアラブから、ゴマやハチミツが、アジアからは砂糖が500dcには早くも伝わってきました。 そして、十字軍の到来に伴い、シナモン・バニラ・コショウ・サフランなどの香辛料が伝わってきたのです。 当時これらの食材は、とても高価でとても一般民の手に入るものではありませんでした。 その中でも砂糖は特に貴重で高価なものでした。
砂糖は最初、食べるとすぐに体力が回復し、体が元気になることから”薬”として位置付けられました。 なので、ドルチェやタルトは最初、薬屋で売っていたのです!なんと、驚きです。 もちろん、パスティッチェリアも黙っているわけではなく、ファルマチア(薬局)と長い間議論を戦わせた結果、 パスティッチェリアに軍配があがり、自由に砂糖を使う権利を得たのでした。(1230年ごろ)
このころ、ウィーンやベルリンでもまだ、砂糖は薬屋の独占で、イタリア同様、薬屋でお菓子が売られていました。 そのため、昔のお菓子やのインテリアはまるで、薬屋のようであったそうです。



さて、イタリアだけではなく全世界で見てみるとドルチェ自体はいつからあったのでしょうか? ドルチェは人類の遊牧民の牧畜や農業の発達と並行して発達してきました。 植物を耕作する方法は代々引き継がれ、そして、穀物を挽いて粉が産まれ、そして、 粉を水と混ぜて石で焼くようになったのがドルチェの起源といわれています。これは、パンともドルチェともつかないものでしょう。
醗酵させる技術は当初は無かったので生地はとても硬かったと言われていますが、 現在でもこの粉と水分を混ぜて焼くという遠い昔の方法がが基礎となっています。そして、歴史上最初の甘いものは”ハチミツ”と言われています。ハチミツの記録はは、紀元前1万8000年〜1万5000年頃にスペイン北部のアルタミラ洞窟に壁画として残されています。ハチミツを採取する技術はとても高いと言われていました。ハチミツもまた、栄養価が高いため内服薬や外傷に欠かせない薬として珍重されていました。
エジプトではバビロニア人から持ち込まれた”uten-t”と呼ばれるお菓子のがあった事が、象形文字の記録によって実証されています。象形文字で残されているくらいですから、紀元前と思われます。そして、旧約聖書には甘いパンの記述も出てきます。 ギリシャでは450年ごろの喜劇作家アリストファネスの作品の中には多くの種類のドルチェが引用されています。
”Gli Acarnesi”には、ゴマを使ったドルチェやフォカッチャの甘いのなどの話が残されており、ゼラチンを使ったトルタも描かれています。 この頃から、粉とハチミツを基本とした揚げ菓子も登場しています。



イタリアでは、トリノ人の記録も残っていて、この辺では粉・チーズ・ハチミツ・油を茹でてケーキを作ってたと記述されています。また、ローマ人はギリシャ人にドルチェの作り方を習ったといわれています。 古代ローマ時代186年、元老院は最初のパン屋を作るための法令を発布した、という記録も残されています。 大カトー、マルコ・ポンチョ(前234〜149:古代ローマの政治家)は薄い生地にハチミツとチーズを詰めたドルチェを記録しています。 すなわち、現在のミルフィーユでしょう。この頃、油で揚げて生地を膨らませる技術も発見され、ベニエが誕生した。ナポリの「ゼッポレ ディ サンジュゼッペ」(揚げたドーナツみたいな生地にクリームを入れたもの)の基礎になっているといわれています。
これらのことから、イタリアではドルチェは古代ローマ時代からあったと思われます。 そして、この頃から、粉・甘味料(ハチミツなど)などを使っていたことから、長い歴史を経て調理方法や材料は変わっていても、 ドルチェの基礎はこの頃に確立されたと言っても過言ではないでしょう。 1150acにはヴェネツィアで最初のパスティッチェリアができたという記録も残っています。 その後、1700年になると、レシピが本として書かれ始めました。



フランスヘはルネッサンスが始まる頃、カトリ-ヌ・メディチがフランスの皇太子アンリ2世に嫁いだ時に、すでにイタリアには伝わっていてた食材、 調理法、食事マナーなどを伝えたと言われています。世界に目を向けてみると、イタリアだけではなくアラブやギリシャなども含めて、何千年も前からお菓子は作られ始めていたというから驚きです! ヨーロッパでは、各地方によって気候が異なるため、収穫される穀物や果実も異なってきます。 各地方、それぞれのドルチェに特徴があるのはこのためでしょう。 そして、長い歴史の中で侵略を繰り返すうちに、各国のお菓子が他国伝えられていったといわれています。



イタリア菓子は地方菓子の集大成と言っても過言ではなくくらい、現在でもとても地方色に富んでいます北部では酪農が盛んなため、バターや生クリームを使ったお菓子が多く、南部では古くから伝わっているハチミツや リコッタチーズを使ったお菓子が沢山あります。 イタリアのアーモンドの生産量の50%以上を占めるシチリアでは、アーモンドを使ったお菓子や、アーモンドミルクなんかも豊富に使われます。 また、オーストリア・スイス・フランスを国境とする北イタリアでは、各国のドルチェの影響を強く受けています。例えばオーストリアとの国境近辺ではでは「シュトゥルーデル」が、フランスとの国境近辺では「「そば粉のクレープ 」なんかも見られます。

いかがでしょう?いかに古くから人間の知恵が絞られ、お菓子が作られていたかが分かりまよね。

現在はイタリアでもフランス菓子のようなきれいなデコレーションを施したケーキも多く見られます。でも、イタリア菓子の基本は「マンマの味」、つまり家庭菓子です。なので、焼きっぱなしの素朴なお菓子が多いイタリア菓子。見た目は地味ですが、とっても美味しいものも沢山あります。
そして、長い歴史の中で形成されてきたお菓子たち、歴史を知ってから見てみると、少し見方が変わってくるのでは?

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